江戸中期に国学研究の端緒を開き、国学の祖と言われる阿闍梨契沖。
久井の地に約5年(1670~1675年)滞在し、国学研究に没頭した。
13歳で剃髪し高野山で修行、24歳で阿闍梨の位を得た。
契沖31歳のときに、信心厚き辻森吉行氏が契沖の学徳に感じ入り、久井に招き、小庵を造って住まわせた。
久井に滞在中、
『苔つたふ 山の滴のいはね水 濁る世しらで 独りいづらん』
という清水を詠んだ歌がある。
辻森家の井戸には香水のような水が湧いていたのをしきりに褒めたたえた。
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僧契沖遺愛の井戸
契沖が褒めたたえた井戸と伝えられる。
香水のような水が湧いていたという。
※契沖の井戸と伝えられる井戸がもう1か所あるが、
私有地内にあるため、詳細は割愛する
※令和4年度に和泉市によって看板が設置された
※令和5年度中に整備が完了予定
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阿闍梨契沖の遺跡碑
契沖が滞在した小庵跡。
かつて松尾川沿いに寓居があったと伝わる。
昭和28年に久井村民の手で石碑が建立された。